2014年10月18日土曜日

[説教要旨]2014/06/22「だから恐れるな」マタイ10:24-39

聖霊降臨後第2主日

初めの日課 エレミヤ書 20:7-13 【旧約・1214頁】
第二の日課 ローマの信徒への手紙 6:1b-11 【新約・ 280頁】
福音の日課 マタイ 10:24-39 【新約・ 18頁】

現在三鷹教会で用いている3年周期の改訂共通日課のうち、今年はマタイによる福音書が中心に取り上げられている。マタイによる福音書では、主イエスに従う弟子の群れとしての、信仰の共同体に向けた主イエスの教えが多く取り上げられている。マタイによる福音書は、おそらく紀元80年頃にまとめられたのではないかと考えられている。1世紀後半、教会は外には帝国からの迫害、それに加えて、内には信徒間の対立と分裂の危機を抱えていた。51?96年にローマ皇帝であったドミティアヌス帝治世下、ユダヤ戦争によるエルサレム神殿崩壊後、従来エルサレム神殿へなされていた献金がローマ帝国の国庫に納付されることになるが、ユダヤ人の一部はこれを拒否する。これに激怒したドミティアヌス帝によってユダヤ人迫害が始まり、その際多くのユダヤ人キリスト教徒も迫害されることとなった。またこの迫害の背景には、ドミティアヌス帝は、ローマの伝統と権威をこよなく愛して、その回復を願っていたことも関連していたようである。ドミティアヌス帝は大火と内乱から十分には復興していなかったローマ市内で、自分の好みを反映させた公共事業を多く起こし、大競技場を建築、オリンピア競技を模して陸上競技、戦車競争を開催する。また晩年には、自らを「主にして神」と呼び、自分を祀る神殿を建てさせ、その後の皇帝崇拝に大きな影響を与えることとなった。そのようなドミティアヌス帝の目には、ユダヤの民も、キリスト者も、ローマの神々を拝むことを拒み、ローマの伝統を否定し、自分の政策を拒否する憎むべき者、不道徳な者と映ったのだった。そのような中で、教会は自らの内部の対立を克服し、信仰の一致を深めて行かなくてはならなかった。マタイによる福音書は、そのような時代を背景として、自分たちが互いに愛によって結ばれた兄弟関係を作りあげるためのその基礎を、主イエスの教えの中に求めたのだった。
本日の福音書で、主イエスは12人の弟子たち向かって励ましの言葉を語られる。しかしそれはまた、今聖書を読んでいる私たち一人一人にもまた向けられている言葉でもある。自分自身のなせる事の小ささに嘆くしかない全ての者に対して、主イエスはこの励ましと慰めの言葉を語られているのである。そして自分に非難を向ける相手が、たとえどれほど強大な権威と権力を持っていたとしても、「恐れてはならない」と主イエスは語られる。なぜならば、魂を滅ぼすことが出来るのはただ主なる神のみだからである。わずかな市場価値しかない一羽の雀でさえ、主なる神はその命を見守っておられるならば、たとえ私たちが、他者と比べて、弱く小さなものであるとしか思えず、いかに自分に価値が無いように思えたとしても、その私たちを主なる神は、髪の毛の一本まで見守って下さる。主イエスはそう語られるのである。
この主イエスの励ましの言葉が真実であることは、主イエスご自身がその十字架において、傷つけられ、罵られ、苦しめられ、その全てを失ったにも関わらず、死から甦られたことによって明らかとなった。罵られ追い詰められ、私たちが傷つき、弱り果てる時、十字架の主イエスは、私たちの最も近くにおられるのである。だからこそ、その慰めと励ましは、私たちのもとを離れることはないのである。

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