2011年5月25日水曜日

ルーテル東教区主催東日本大震災を覚えての祈りと支援報告会ご案内[06/11]

3.11東日本大震災の悲しみと支えに心をよせて
となりびとのいのり

日時
2011.6.11(土)15:00~17:00

プログラム
[祈りのとき]
  キャロル・サックさん(祈りのたて琴)
[報告のとき]
  遠藤優子さん(JLER現地スタッフ)
  佐藤文敬さん(JLER現地スタッフ)
[語らいのとき]
  これから、隣り人として

会場
ルーテル東京教会(新宿区大久保1-14-14)

参加無料ですが席上献金をいたします。被災者支援に献げます。

ルーテルとなりびとブログ

主催 日本福音ルーテル教会東教区
後援 ルーテル教会救援対策本部(JLER)

三鷹教会バザーのおしらせ[06/26]

ルーテル三鷹教会の今年度のバザーは

6/26(日)12-14時 ルーテル学院大学学生食堂にて


に行われます。
なお、この日の礼拝はは10時より子どもと大人の合同礼拝となります。
献品のご協力もよろしくお願いいたします(6/12締切)。

[説教要旨]2011/05/22「真理の道・命の道」ヨハネ14:1-14

復活後第4主日

初めの日課 使徒言行録 17:1-15 【新約・ 247頁】
第二の日課 1ペトロ 2:4-10 【新約・ 429頁】
福音の日課 ヨハネ 14:1-14 【新約・196頁】

 十字架の出来事の直前、主イエスは弟子たちとの最後の食卓で長いメッセージを語る。弟子たちに向かって、主イエスは「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」と語りかける。「信じる」ということを、今日の私達は自分自身の意志の力として捉えがちである。努力し、自分の周りに起こることを上手にコントロールして計画的にある目標を達成する、そういう行為として「信じる」ということを捉えている。しかしそのように考えるならば、信じることの主役は私自身に他ならない。だとするならば、そこで信じられているは、神そしてキリストである以前に、むしろ「私」自身の意志の力なのである。そして、「私」という存在がいかに不安定で不確かなものであるかを、私達は直観的に理解している。そうであるからこそ、信じ抜こうと思えば思うほど、私達の心はより一層騒がずにはいられないのである。
 おそらく、主イエスの元に集まっていた弟子たちもまた、自らの意志でこのイエスに付き従うことで、己の道を開こうとし、そして自分の働きによって様々な将来を計画しようとした。そうであるからこそ、トマスは「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」と問わずにはいられない。またフィリポは「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と願わずにはいられない。
 しかし、そのような弟子たちに向かって主イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である。」と語られる。この言葉はむしろ「わたしこそが道であり、真理であり、命である」と受け取ることが出来る。そのように語られる主イエスの「わたし」は、心騒がせて主イエスに向か、この「わたし」を圧倒する。道であり真理であり命であるのは、あなたではない。わたし、すなわち主イエスである。主イエスの十字架と復活の出来事を信じる私達は、もはやこの自分だけの世界を生きているのではない。神を主イエスを信じるということは、自分の意志と働きの対価として、自分の命を得ることなのではなく、主イエスの命を生きているからである。たとえどれほど、私の意志と働きとが、小さく、人の目には不十分にしか映らず、満足のいくことのないものであったとしても、主イエスが共におられる命を私達は生きているのである。
 復活の出来事を憶えるこの時、私達に与えられた主イエスの命をまた憶えて歩みたい。