2010年7月5日月曜日

[説教要旨]2010/6/13「ことばのちから」ルカ7:1-10

聖霊降臨後第3主日

初めの日課 列王記上 8:41-43 【旧約・ 543頁】
第二の日課 ガラテヤ 1:1-10 【新約・ 342頁】
福音の日課 ルカ 7:1-10 【新約・ 114頁】

イエスさまは、神さまに祈りをささげるために山へと向かわれた、そこで弟子たちの中から十二人を選んで使徒と名づけられた(6:12-16)。後に十二使徒と呼ばれる弟子たちである。弟子たちと共に山から下りられたイエスさまは、平らな所に立たれて話しをする(平地での説教、マタイでは山上の説教と呼ばれる場面)(6:20-49)。そこでイエスさまは人々の耳を、語られた説教すべて(イエスさまのことば)で満たし後、カファルナウムに入っていかれた。カファルナウムは福音書に度々登場し、イエスさまが宣教の拠点とされた場所である。ここで、ある百人隊長の部下が病気で死にかかっていた。同じ記事が書かれているマタイによる福音書で百人隊長は、イエスさまの前に進み出て直接、部下である僕を癒してくださるように懇願している。それに対して、ルカによる福音書では第三者を通してその癒しを願っている。最初は「ユダヤ人の長老たち」にその役目を託し、役目を託された長老たちは〔7:4〕に記されているように、イエスさまに熱心に願い「あの方は、そうしていただくのにふさわし人です。」と懇願する。それに応えてイエスさまは百人隊長の僕のもとへ出かけられる〔7:6〕。ここから、百人隊長とユダヤ人の長老たち関係、また百人隊長の人物像を窺うことができる。ユダヤ人の長老たちが百人隊長へ向けた信頼を通して、百人隊長がイエスさまへ向けた信頼を、イエスさまは受け取った。そして、百人隊長のもとへ歩み始めた。しかし、イエスさまが百人隊長の家に近づくと、百人隊長は友人たちを使いに出して「わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。」と伝える。部下の癒しを願いながら、自分はイエスさまの前に出るのは相応しくないと語る百人隊長は、「遠くに立って、目を上げようともせず、赦しを願う徴税人の姿」〔18:13〕を思い起こさせる。イエスさまは6章に記されている平地での説教で「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたのものである」と教えている。そのイエスさまのことばが出来事となって、いま百人隊長の前に現れる。イエスさまの言う「貧しい人々」とは、百人隊長や徴税人のように「自分は救いに相応しくない」と思いながら、ただ神の憐れみを待ち続ける人々のことである。百人隊長は友人を通して「ひと言おっしゃってください」と願う。百人隊長は、イエスさまのことばがあれば部下は癒されると信じている。イエスさまが群集の方を振り向いて「これほどの信仰を見たことが無い」とたたえた信仰とは、受けるに値しない自分にもことばが与えられると信じて待つ信仰である。

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