2008年10月30日木曜日

[説教要旨]2008/6/8「背を向けてはならない」

(聖霊降臨後第4主日)

初めの日課 レビ記 19:17-18
第二の日課 1コリント 3:10-23
福音の日課 マタイ福音書 5:38-48

 「目には目を、歯には歯を」それは人間的な理性からすれば極めて妥当な論理である。しかし、主イエスは「しかし」と語られる。

  主イエスが語る言葉は、理性的な論理基準を大きく逸脱するものであり、それはいわば人の目には馬鹿げたことのようにすら映る。実に、私たちがこれらの言葉を全て文字通りに守ることは極めて困難であるように思われる。

  「下着をとろうとするものには、上着をも取らせなさい」という言葉は、いわば無一文になることを薦めるものであるとすら言える。「悪人に手向かってはならない」という言葉は、命をも含む全てを失う危険すら予感させる。こうした危機的な状況を背景としつつ、この人間の論理を大きく逸脱した言葉の土台となっているもの、それは神への深い信頼であるということが出来る。神の信頼性・信用は揺るぎない。したがって、その信頼性の上に立つ限り、財産も、あるいは自分の命ですら失うことに、何の不安を持つ必要も無い。主イエスの言葉は、そうした神への深い信頼に私たちが立つことを求めている。

 この神への信頼において、主イエスはさらなる教えを語られる。「求めるものには与えなさい。あなたから借りようとするものに背を向けてはならない」。そして「敵を愛しなさい」。これらの言葉は、私たちの人生における視線の向きを、自分自身の生活の中だけへと向かう内向きの方向から、自分たちの生活の外側の世界へと向けさせる。私たちは、自らの生活を守るため、敵を追い払い、あるいは自分たちのものを奪った敵を追いかけ奪い返す。あるいは、自分の持てるものを守るため、時として私たちは、私たちに求める者に背を向ける。けれども、主イエスの語る言葉は、敵を「追いかけ」そして「与える」生き方である。それは敵あるいは他者と自分との区別を無意味にしてしまう。それは神の恵みは敵・他者と自分と区別を超えて与えられているということ、それは一つところに留まるものではなく、溢れ出てゆくものであるということ、それを留めることは人間には出来ないということを今一度強く思い起こさせる。それは与えることによってはじめて実を結ぶ恵みである。私たちが、他者に背を向けるとき、それは私たち自身が神の恵みに背を向けているのである。

 神の恵みは、私たち人間の理性を超えて溢れ出てゆく。そのことに関する信頼性は、たとえ財産を失う危機にあっても、あるいは命を失うような危機にあっても揺るがないことを主イエスは語られる。

0 件のコメント: