2008年10月30日木曜日

[説教要旨]2008/5/11「神の息吹が降る」

(聖霊降臨祭)



初めの日課 ヨエル3:1-5

第二の日課 使徒2:1-21

福音の日課 ヨハネ福音書7:37-39



 風そのものを人は見ることが出来ない。人は、風によって動かされているものを見ることができるだけである。時としてそれは、大木を揺り動かし、海を波立たせ、地を揺るがす力を振るうことすらある。そして人はまた、風そのものを見ることは出来ないが、その音を聞き、感じることが出来る。たとえ見ることが出来なくても、人はそこに風の力が働いていることを分かることができる。



 風、息、霊、これらは、新約聖書ではしばしば「プネウマpneuma」という語で表される。神の霊の力とは、風のように、目には見えないが、何かを動かすことのできる力である。そしてそれはまた神の息でもある。旧約聖書では、神は土くれに息を吹き込み、生ける人とされた。その意味で、神の霊とは私たちに命を与える力であり、私たちを動かしめる力である。



 神の息吹である神の霊が弟子たちに降った際の出来事を、使徒言行録2章は伝えている。それは、旧約の預言者の時を経て、イエスがこの地上で過ごされた時の後に、そのイエスが地上を去り、残された者たちがこの地上でイエスについて語り伝え始めることになる、教会の時の始まりでもあった。このため、弟子たちが聖霊を受けて、雄弁に語り始めたことを憶えるペンテコステ、聖霊降臨祭は、教会のはじまりの時と呼ぶこともある。



 霊、すなわち神の息吹を受けて、弟子たちは世界へと送り出される。確かにその道は決して平坦なものではなかった。しかし、彼らには、今の苦境の先にあるものが感じられていた。なぜならば、彼らは神の息吹によって、未来における主イエスの再臨の時と結び付けられていたからである。教会の時とは聖霊の時でもある。この教会の時は、世の終わり、主イエスの再臨の時へとつながっている。風、神の息吹である聖霊は、私たちが生きている今という時の枠組みを揺るがし、私たちをその外へと押し出す。主イエスが約束された聖霊の力によって、私たちは未来へと送り出されるのである。まさにこの意味で、聖霊は過去と未来と現在を、一つに結びつけている。聖霊を通して、私たちは、私たちから既に失われてしまった愛する者たちと、そして私たちがまだ見ぬ私たちの後裔たちと結び付けられている。

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