2008年10月30日木曜日

[説教要旨]2008/5/18「世の終わりまで共に」

(三位一体主日)

初めの日課 イザヤ6:1-8

第二の日課 2コリント13:11-13

福音の日課 マタイ福音書28:16-20



 教会の暦では、前半(アドベントとクリスマスからイースターを経て、ペンテコステまで)ではイエスの地上の歩みについての、そして後半、次のアドベントの直前まででは、イエスが語られた教えについての聖書箇所が伝統的に選ばれている。そしてその境目にあたる本日は三位一体主日と伝統的に呼ばれている。この主日には聖書の物語の中の具体的な出来事は割り当てられていない。しかし、教会暦の前半と後半を結ぶ日という位置付けは、救いの歴史の出来事、すなわちクリスマス(父の業)、イースター(御子の業)そしてペンテコステ(聖霊の業)が集約したものとしてそれは理解されてきた、ということができる。聖書はその全体を通して、神・聖霊・キリストについてが語っているからである。三位一体とは単なる理論なのではなく、私たちに恵みとして与えられた救いの歴史とそこで起こる救いの出来事の全体なのである。



 「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことを全て守るように教えなさい」。この言葉は、イエスの大宣教命令とも呼ばれ、今日の私たちの教会に対しても向けられている言葉である。「救いの歴史」とは、ある特定の>国に限定され、あらかじめ全ての出来事が宿命として定められているような「静的」な歴史年表なのではない。むしろそれは、多くの人がそこに加わえられていくことが望まれており、定められた枠組みからあふれ出していくような、「動的」なネットワークである。救いの歴史は、私たち一人ひとりがその一部を担ってゆくことを待っているのである。



 「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」とイエスは語られた。世の終わり、それは日常の生活空間の外側にある世界である。聖書に記された救いの出来事のネットワークは、時間と空間を超え、今ここに生きる私たちへと到っている。私たちが主イエスの大宣教命令に従うとき、私たちはそのネットワークの一部となる。それはまさに主イエスが私たちと繋がり、共にいることに他ならない。

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