2014年1月9日木曜日

[説教要旨]2013/12/22「神は我々と共におられる」マタイ1:18-25

待降節第4主日

初めの日課 イザヤ 7:10-16 【旧約・ 1071頁】
第二の日課 ローマ 1:1-7 【新約・273頁】
福音の日課 マタイ 1:18-25 【新約・ 1頁】

主日の聖書日課は連続した箇所の中に、教会の祝祭に関わる聖書箇所を取り上げる。教会の祝祭とはすなわち、主イエス・キリストにおいて起こった救済の出来事を憶えるである。その事はいわば、キリストの救いの業が、私たち人間がたてた計画や順序を切断し、中断させ、その中に入り込んでくることを示唆している。自分達の建てた順序を守り抜くよりも、そうした人間の思いがキリストの救いの出来事によって中断されること、それこそが、救いのリアリティーであることを、教会の伝統はむしろ重視したのだった。
主イエスの降誕の週の幕開けとなる待降節第4主日を私たちは迎えた。待降節第4主日の日課には、救い主の到来についての神の言葉が告げられる箇所が選ばれている。本日の聖書の箇所は、マタイによる福音書における、救い主の降誕の告知とそのいきさつが語られているが、マリアに注目したルカ福音書と異なり、マタイ福音書ではヨセフが中心となっている。本日の日課に先駆けて、1章の冒頭では主イエスの系図が語られ、そして主イエスの誕生の次第が語られる。しかしそこには実は二つの中断がある。
主イエスの系図は、ダビデの血統としてのヨセフの系図である。しかしこの後に続く物語は、ヨセフと主イエスが、血縁上のつながりがないことを語っている。つまり人間の系譜は一旦中断されるのである。しかしそのことがむしろ救いの歴史となっていくことを、この福音書はこれから語るのだということを示していると言える。
続いて、ヨセフに主の天使が現れ、神の言葉を告げる物語が続く。ここでヨセフは「正しい人」と紹介される。正しい人とは律法に忠実な人であり、当時の社会の倫理・価値観に忠実な人であることを意味している。正しい人であったヨセフは、彼の生きた社会の倫理に従って、結婚前に身ごもった婚約者マリアを離縁しようとする。しかしたとえ「ひそかに」であったとしても、結果としてマリアは裁かれる危険にさらされることとなる。当時、婚約中であっても姦通には厳罰が与えられた。つまり、ヨセフの正しさはマリアとその身に宿る命を危機に晒すのである。しかしヨセフのその正しさゆえの計画は、主の使いが語る神の言葉によって中断されることとなる。神の言葉は、そこに救い主が与えられたことを語る。ヨセフの正しさは、マリアを断罪しようとする。しかし、そこに与えられた救い主はそれを中断させるのである。死の危機は生の希望へと変えられた。死を生へと変えること、それこそまさに主の愛の働きであり、そこに神が共におられるということに他ならなかった。
今週私たちは主の降誕を憶えるクリスマスの時を迎える。それは私たちの思いと計画を、救いは中断させることを今一度思い起こす時でもある。けれどもそれは同時に、私たちの思いと期待を遙かに超えた神の救いが、主イエスによって私たちの生きるただ中に与えられたことに私たちが立ち返る時でもある。私たちの救い、主イエスの到来をなお、待ち望みたい。

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