2012年2月13日月曜日

[説教要旨]2012/1/22「時は満ちた」マルコ1:14-20

顕現後第3主日

初めの日課 ヨナ 3:1ー5,10 【旧約・1447頁】
第二の日課 1コリント 7:29ー31 【新約・ 308頁】
福音の日課 マルコ 1:14ー20 【新約・ 61頁】

主イエスの公の宣教活動の始まりについて本日の日課であるマルコ福音書は「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝え て、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた。」と、簡潔かつ要を得て報告する。ガリラヤで「福音」を宣べつたえ始められ た主イエスが、最初に行うのは、まずシモンら最初の弟子たちを召し出すということであった。主イエスが神の国の到来を、その教えと業とによって人々に示し ていくためにまず必要であったのは、弟子たちであり、彼らとと共に歩むことであった。しかしそれはガリラヤ湖畔で漁師をしていた男達に突然に声をかけたの であり、あまりにも唐突・無計画であるようにすら思われる。しかもこの弟子たちはこの後も、常に主イエスを誤解し、理解することが出来ず、ついには主イエ スが逮捕されるにあたって、弟子たちは恐怖の余り主イエスを見捨てて逃げ去ってしまう。そのような者たちを、主イエスは弟子として選び出し、共に歩み始め るのである。
このことはむしろ、自分勝手で臆病な弟子たちと共に歩むということが、主イエスが福音を伝えることと切り離すことの出来ないことであることを私たちに伝 えている。すなわち、主イエスが伝える神の国の到来・福音は、私たち人間の価値観で図ることの出来るような、計画・効率とは無縁のものであり、むしろこの 世における無駄や遠回り、頓挫と挫折、失敗と裏切り、そうしたものを超えて、初めて示される神の力であった。それはなによりも、主イエスの十字架の死と、 その死からの復活という出来事によって示されることとなる。遠回り、挫折、失敗と裏切り、そうしたものを超えてなお、神の力は、命の光をこの地上に輝かせ るのだということを、主イエスは、その十字架の死からの復活によって示されたのである。そして主イエスのもとから逃げ去った弟子たちは、主イエスの復活の 出来事を通して、自分の失敗も挫折も裏切り、そうしたものを全て超えて、力足らざる弱い自分と、主イエスは今も生きて共に歩んで下さることを弟子たち自身 は体験する。そしてまさにそのことを、「良い知らせ」すなわち「福音」として、世界に伝える者となってゆくのであった。
主イエスは、この福音の宣教の開始にあたって「時は満ちた」と語る。「時が満ちる」とは、私たちの計画表の中に書き込めるような、そのような「時刻」が 来ることなのではない。それはむしろ神の力がこの世界に満ちるということである。主イエスは、「時は満ちた」と語られ、そして、力足らざるはずの弟子たち を召し出し、共に歩み始め、そして、良い知らせ、福音をこの世に伝えるのあった。弱く、あらゆることが整わない。そのような中で、私たちは確かに自分達の 時を過ごしている。しかし、神の時は既に満ちている。主イエスは、私たちの不足も弱さも全て受け入れて、既に私たちと共に歩んで下さっている。

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