2012年2月13日月曜日

[説教要旨]2012/2/5「満ちあふれる慰め」2コリント1:3-7

顕現後第5主日・三鷹教会定期総会

初めの日課 イザヤ 40:21ー31 【旧約・1125頁】
第二の日課 1コリント 9:16ー23 【新約・311頁】
福音の日課 マルコ 1:29ー39 【新約・62頁】

本日は、2012年度の三鷹教会の主題聖句である2コリント1:3-7からみことばを聞きたい。
パウロはコリント教会を去った後も、数度にわたって教会内の諸問題を解決するために手紙を書き送っている。ある時には、別の宣教者らがパウロの使徒職の正統性について激しく非難したことによって、パウロは深く傷つくこととなる。パウロは、自分によせられた非難に対して涙ながらに弁明をしたため、テトスに託してコリントに派遣する。その後パウロはエフェソで投獄され、死刑さえ覚悟する中で、復活にのみ望みと信頼を置くことを改めて体験する。主に守られてパウロは釈放され、マケドニアでテトスに再会し、コリントの人々との間に和解が成り立ったことを知らされる。この喜びの内に、パウロは「和解の手紙」をコリント教会に再びしたためた。本日のテキストは、この和解の手紙の冒頭部分であると考えられている。
この箇所には、「慰め」という言葉が繰り返し語られている。「慰める」とは、試練のうちにある誰かが、その励ましと助けを得るために友が傍らに寄り添うことを意味している。パウロにとって、自らの苦難が主キリストの苦難と結びつくことによって、主イエス・キリスト自身が、彼の傍らで励まし助けを与られたのであった。キリストの励ましと助けによって、遠く離れ、互いに非難し、傷つけ合うしかないとすら思われた兄弟姉妹との交わりは、より深く・より豊かなものとなったのであった。パウロは語る。「あなたがたについてわたしたちが抱いている希望は揺るぎません。なぜなら、あなたがたが苦しみを共にしてくれているように、慰めをも共にしていると、わたしたちは知っているからです」。この一連の苦難の出来事を通してパウロは「キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。」ということを確信したのだった。
コリント教会に向けて書き送った手紙は、彼の体験した苦難の中でも特に、この対立によって彼が深く傷ついていたことを物語る。しかし、パウロが負った傷、その苦しみは、ただパウロ一人の苦難でおわることはなく、それは満ちあふれる慰めへと続いていた。なぜならば、それは、私たちの救い主、主イエス・キリストが、その苦難を、復活の喜びへと、尽きることのない慰めへと変えて下さったからなのである。キリストと共に苦難が分かち合われる時、そこでは必ず尽きることのない、満ちあふれる慰めと希望もまた分かち合われる。
今、この日本社会は、大きく傷つき、そして心の底から助けを、慰めを求めている。その中で生きる私たちもまた、決してその痛みと苦しみから無縁ではない。けれども、キリスト者として私たちが、その苦しみを共に担う時、満ちあふれる慰め、揺るぎない希望もまた分かち合われる。

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