2013年5月31日金曜日

[説教要旨]2013/05/26 「真理を告げる」ヨハネ16:12-15

三位一体(聖霊降臨後第1主日)

初めの日課 箴言 8:1-4 【旧約・ 1000頁】
第二の日課 ローマ 5:1-5 【新約・ 279頁】
福音の日課 ヨハネ 16:12-15 【新約・ 200頁】

聖霊降臨祭の後の最初の主日である本日は、教会の暦では「三位一体」の祝祭日である。三位一体の教理はキリスト教信仰の中心として教会の中で受け継がれてきた。しかし聖書の中には三位一体の教えについて体系的に記されている箇所は無い。むしろ歴史の中で教会は苦悩と葛藤の歩みを通して三位一体という表現を獲得したと言える。その意味で三位一体の教理とは本来、キリスト者が地上を歩む中で、どこで神の働きに出会い、どこに救いを見出すのかを示すものである。すなわち、私たちは自分に与えられた命を通して造り主である神の愛に触れる。そして、私たちと同じくこの地上をこの歴史を生きた主イエス・キリストによって、救いと新しい命を与えられる。そして、神の見えない力である聖霊の働きによって、私たちの魂は常に慰められ励まされるのである。
本日の福音書もヨハネ福音書のいわゆる告別説教から取り上げられている。主イエスは弟子たちに「真理の霊」について伝えるが、それに先立ってまず「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない」と語られる。主イエスを眼前で見聞きしてきた弟子たちですら、主イエスが地上で為された事、語られた事のその真の意味について、まだ分からないでいる。彼らにとって、主イエスの業と教えが、本当の意味で「救いの出来事」として「分かる」には、主イエスの十字架と復活の出来事、そして「真理の霊が来る」のを待たなければならなかった。さらに「真理はあなたがのものになる」と主イエスは言われない。真理の霊は弟子たちに告げ、導くものなのである。実に、人間が「真理」を我が物とすることなど出来ないのである。もしこの私が真理を手にしていると誤解するならば、私たちはあまりに容易に、自分自身を絶対化し、他者を裁き、貶め、支配しようとしてしまうだろう。真理の霊は、この地上で憎悪と敵対との中で悩み傷つく私たちに新しい命と平和の喜びを告げ、和解と解放へと導く力である。
もちろん、新しい命と平和の真理へ至る歩みは決して平坦ではない。主イエスが弟子たちを遺してこの地上を離れた「主の昇天」とそれに続く主日は、地上に生きる私たちに託された使命を思い起こさせるが、その使命はあまりにも荷が重すぎるようにすら思われる。続く聖霊降臨の出来事を通して、私たちは自分自身の力だけでその使命を背負うわけではないこと、神の見えない力=聖霊が共におられることによってそれらの使命を私たちは果たすことが出来るのだということを知るが、それでもなお使徒言行録の物語を読み返すならば、聖霊はキリスト者達に対して、それまで見たことも無い道を示すことに気付かされる。それゆえに人はそこに恐れと不信を抱かずにはいられない。けれども、過ぐる復活節第5主日に取り上げられてきた黙示録で、主は「見よ、わたしは万物を新しくする」と語られる。たとえ私たちが恐れと不信の中にある時にも、万物を新しくされる聖なる力によって、新しい命・平和の真理へと向かう私達の歩みは支えられているのである。聖書の語る私たちの命を造られた神とは、憎悪と対立の中から私たちを救い上げられ、命と平和の真理へと導かれる方であり、その困難な恐れと不信に満ちた道筋を、喜びと希望の道へと変えられる方なのである。今この地上において生きる私達の歩みもまた真理の霊によって導かれることを祈り求めたい。

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