2013年5月21日火曜日

[説教要旨]2013/05/19「永遠に共に」ヨハネ14:8-17

聖霊降臨祭

初めの日課 使徒言行録 2:1-21 【新約・ 214頁】
第二の日課 ローマ 8:14-17 【新約・ 284頁】
福音の日課 ヨハネ 14:8-17 【新約・ 196頁】

 本日はペンテコステ、聖霊降臨祭である。ペンテコステとはギリシア語で「50日目」という意味であり、もともとはユダヤでは過越祭から数えて50日目を表し、過越祭の季節を締めくくる祝祭であった。使徒言行録によれば、過越祭に起こった主イエスの復活から50日目の時、天から聖霊が降り、弟子達があらゆる国の言葉で福音すなわち「良き知らせ」を語り始めた、教会の誕生の時となった。
 主イエスが天に昇られた後、何をすべきか良くわからないまま残された弟子達に、聖霊が働きかける。これによって、祭のために都に集まった人々へ「福音」を伝える言葉を彼らは見い出すこととなった。その時彼らは口々に同じ言葉を語ったのではなく、それぞれが異なる言葉を語りながらも、それが同じ福音を伝えるものであることを互いに理解することが出来た。またそのメッセージを聞く者達にとっては、そのメッセージはそれぞれ自分の言語・文化から理解することが出来る言葉となった。ペンテコステの日の聖霊降臨の出来事では、見かけ上はまるで新しい酒に酔っているかのようにばらばらに語りながらも、そこに互いを深く理解しあう一致が生まれているのである。その意味でペンテコステの出来事とは、違いを塗りつぶしてしまうのではなく、その多様なありかたの違いをそのままに、互いの距離を縮める力が働く出来事なのである。これこそ聖霊の働きによる教会であり、信仰の交わりの始まりであった。そこでは異なる一人一人が欠くことの出来ない存在となるのである。
 本日の福音書の日課は、告別説教の一部となっている。告別説教の中で主イエスは、弟子たちが不安と悲しみにつぶされることなく、目に見えないものを希望とし、一人一人の命を生き抜くことができるように、弁護者である「聖霊」を送ると約束された。その約束が実現した出来事こそが聖霊降臨であった。弁護者を送る約束の中で主イエスは「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」と語られる。私たちがこの言葉を聞くならば、いつまでも同じ形で留まり続けるものをまずイメージするだろう。使徒言行録で語られる、聖霊降臨そしてその後の教会の物語を読むならば、確かに私たちの目には見えない部分においては、まさにその通りであった。けれども見える部分においては、全く反対の状況が展開していく。聖霊によって慰められ力づけられた教会は、異なる人々に向かって異なる言葉を語り、やがて迫害を契機として世界各地へと散らされてゆく。それは人の目から見るならば、分裂であり消滅とすら見えるものであった。しかし人の目には、分裂・消滅としか見えない状況にあっても、神の力である聖なる霊は常にキリスト者と共におられて、彼らを一つに結びつける。神の力である聖なる霊が永遠に共にあるということは、人の目では見いだすことの出来ない一致を私たちにもたらす力が、常に私たちを導いているということに他ならない。
 常に形を変えながら、常にその違いと多様性を増しながら、教会は福音を伝えてきた。そしてそれはこれからも続いてゆく。しかし、そのただ中にはいつも、私たち一人一人を欠くことの出来ない存在として、違いと多様性を超えて私たちを結びつける神の力・聖なる霊の働きがあることを、主イエスの言葉と教会の誕生の物語は私たちに伝えるのである。

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