2012年11月25日日曜日

[説教要旨]2012/11/25「神の国はどこに」ヨハネ18:33-37

キリストの支配(聖霊降臨後第26主日)

初めの日課 ダニエル 7:9-10、13-14 【旧約・ 1392頁】
第二の日課 黙示録 1:4b-8 【新約・ 452頁】
福音の日課 ヨハネ 18:33-37 【新約・ 205頁】

 本日は、教会の暦の最後の主日礼拝となる。現在三鷹教会で用いている「改訂共通日課」では、この教会の暦の最後の主日を「キリストの支配」を憶える日としている。この主日は1925年に教皇ピオ11世が「王であるキリスト」の日を定めたことに由来する。この年1月イタリアではムッソリーニが独裁を宣言し、11月にはドイツではヒトラーを保護する組織としてナチス親衛隊が設立された。さらにソビエトでは12月スターリンが党のトップに立ち独裁体制を固めることとなった。独裁と専制の思惑と欲望が交錯する時代、万物の王たるキリストを憶えて敢えてこの日は設けられた。キリストの支配を憶える時、力を巡って熾烈な争いを延々と繰り広げる私たちが、憎しみと報復の連鎖を断ち切るにはどうすればよいのか、真の平和と友愛とを私たちはどこから得ることができるのかに思いを寄せることとなる。
 本日の聖書箇所では、十字架を目前にした主イエスとポンテオ・ピラトととの対話の場面となっている。ピラトは、ローマ帝国から派遣されたユダヤ地域の総督であった。主イエスは、「ユダヤ人の王」を名乗ったとして訴えられ、ピラトの元に連れてこられる。ピラトは、主イエスが「ユダヤ人の王」であることを認めさせようとする。それは主イエスが政治犯であることを意味し、そうであればピラトは総督としての権力と軍事力を行使して、反逆者を殲滅させれば良かった。しかし、主イエスはピラトが期待するような答えをしない。ピラトやローマ帝国とは全く違う仕方で、主イエスはこの世界を支配すると応えられる。主イエスは語る。「わたしの国は、この世には属していない」「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」主イエスが語る真理とははたして何なのか。
 主イエスの語った真理、それはいわば「愛の真理」とも言うべきものであった。「愛の真理」とは、人と人が、暴力と恐怖によって支配を争い合う、そのようなものを無意味なものにしてしまう、そのような真理である。力によって人々を支配するのではなく、主イエスはむしろ、人々のためにその命を用いるために、人々に仕えるために、この世界へと与えられた。それはなによりも、この地上に神の国をもたらすためであった。
 主イエスがもたらされる神の国は、地上の支配者が考えるような、恐怖と暴力によって専制支配し、特権を守ろうとする国ではなかった。イエスの神の国、それは愛と正義と奉仕による領域であった。平和と、兄弟・姉妹愛、正義と公正、尊敬と友愛、そのような世界を築くために、主イエスはこの世界に、私たちの只中に与えられたのである。
 イエス・キリストが、その愛の真理をもって私たちを支配するということ。それは、私たちもまた、キリストの愛によって、暴力と恐怖とによって、支配し支配される、そのような私たちの間の関係もまた、全く新しいものへと創り変えられることでもある。キリストがもたらされる真理、神の愛によって私たちの関係は変わることができる。聖書はそのような希望を私たちに語る。
 教会の暦はまもなく、クリスマスに備えるアドベントの季節を迎える。繰り返し繰り返し絶えることなく、私たちの只中に愛の真理が与えられることを憶えて、この時を過ごしてゆきたい。

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