2012年11月23日金曜日

[説教要旨]2012/11/18「どんな徴があるのですか」マルコ13:1-8

聖霊降臨後第25主日・成長感謝礼拝

初めの日課 ダニエル 12:1-3 【旧約・1401頁】
福音の日課 マルコ 13:1-8 【新約・ 88頁】

 本日の聖書の日課では、エルサレムの神殿が登場する。主イエスの時代のエルサレムには、立派な神殿が存在した。そもそも、エルサレムには、ソロモン王の建てた壮麗な神殿があったが、バビロニアとの戦争によって破壊されてしまい、バビロン捕囚から戻った者たちが神殿を再建しなければならなかった。エズラ記3章では神殿が再建される際には、その(おそらく粗末な)基礎を前にして、昔の荘厳な神殿を知る者は泣き出したとさえ伝えられている。しかし、そのおよそ五百年後、今度はヘロデ大王が何十年も歳月をかけて大改修を行い、荘厳な神殿を造り上げることとなった。おそらく、かつてのソロモン王に劣らぬ立派な神殿を見せつけることで、自らの王としての威信、そしてまた自らの敬虔さをを誇示しようとしたのであろう。
ヘロデ大王によって改修された神殿も、昔のものに負けないぐらい、壮麗なものであったと言われている。国中から人々が神殿を詣でる中、エルサレムの人々にとっても、この壮麗な神殿はやはり自慢となっていた。人々が誇る壮麗な神殿では、神殿を穢す者、祭儀を滞らせる者、女性や子ども、外国人は排除された。限られた者だけが、その中で、神に感謝の献げ物をし、執り成しの祈りを祈った。
本日の福音書では、主イエスとその弟子たちがこの神殿へとやってくる。弟子たちは、壮麗な神殿を目にして感嘆するが、主イエスは、そのようなな弟子たちに向かって「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」と語られる。
 主イエスの言葉に弟子たちは驚愕し、不安を覚え、ひそかに主イエスにそのことはいつ起こるのかと尋ねる。しかし主イエスは、壮麗な神殿が崩壊したからと言って、何も心配することはないと教えられたのだった。事実、ヘロデ大王の神殿は、この後ローマ帝国との戦争によって壊滅し、今はもうその壮麗な姿を残すことはなかった。
 確かに、自分の大事にしている、立派で綺麗なものが壊れてしまうならば、私たちは悲しみ、不安を覚えずにはいられない。しかし主イエスは惑わされるなと言われる。それはなぜなのか。穢すものを排除していた、その神殿が無くなった時、私たちは世界中のどこであっても、中に入れられず、排除されていた者たちも共に聖書の言葉を聞き、神に感謝する礼拝ができるようになったのである。
 主イエスは既に弟子たちにこう語られていた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(10:14-15)主イエスは、私たち全てを神の国に招かれた。そうであるら、今や私たちには、誇示し自慢するべき壮麗な神殿はもはや必要ない。今日こうして集まっているように、神様の祝福と恵みを分け合うところ、一緒に神様に感謝するところ、そこには、いつも神様は一緒にいてくださるからである。私たちも、神様の祝福を分かちあって、いつも神様と一緒にいることを憶えてゆきたい。

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