2012年12月6日木曜日

[説教要旨]2012/12/02「時は近い」ルカ21:25-36

待降節第1主日

初めの日課 エレミヤ 33:14-16 【旧約・ 1241頁】
第二の日課 1テサロニケ 3:9-13 【新約・ 376頁】
福音の日課 ルカ 21:25-36 【新約・ 152頁】

 教会の暦では、本日からクリスマスの準備に向かう待降節・アドベントの時を迎えて、新しい1年のサイクルが始まる。アドベントとは、「やってくる、到来する」という意味を表すラテン語を語源とするが、これは支配者や総督などが、その支配地に赴いて人々の前に姿を現すことに用いられた表現でもあった。その意味では本来アドベントとは「主がやって来る」ことに強調が置かれている。つまり、教会が古い年を終えて、新しい年へとその歩みを進めることが出来るのは、私たちの側からの働きかけによってではなく、主が来られることによって初めて実現されるのである。いわば主イエスの到来が、私たちを新しいものへと変えて行くのである。
 十字架の直前に位置する本日の箇所で主イエスが語られたことは、世の終わりの時に神の国の力を授けられた者として主イエスが再び到来される「再臨」についてであった。一見すると、そこで語られる言葉は私たちにとっては様々な恐れや不安を覚えさせるような表現が続くいている。しかし主イエスは、「このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」と語られる。たとえこの地上を揺り動かすほどの大きな恐れと不安とが私たちを襲うとしても、主イエスがやってこられる時、それは「解放の時が近い」のだと語られるのである。十字架という恐れと不安の極みへと向かおうとするまさにその時に主イエスが解放の約束を語られたということは、私たちの恐れ・不安のただ中に救いと解放の光をもたらされるために、救い主はこの地上へと到来されたということを物語る。主イエスは語る。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」それは私たちを支え、励ます、滅びる事のない約束の言葉である。
私たちは今、主イエスの到来を待ち望む、アドベントの時を歩んでいる。それは毎年繰り返されるクリスマスを待ち望む季節のことであると同時に、主イエスが再びこの地上にやってこられる、解放の時を待ち望む期間のことでもある。しかしながら、今日「待つ」ということはただ受け身のまま何も生み出すことのない不毛な時間であると考えられている。何かを成し遂げるためには、待っていては駄目であり、何か積極的で生産的な活動をしなければならない。私たちはそのように教育され、待つことを価値のないこととして厭う時代に生きている。しかし、実はそれは、私たちが「恐れ」にとりつかれているからに他ならないとヘンリー・ナウエンは語る。ナウエンによれば、現代において多くの人は、内なる感情に、他人に、そして将来に怖れを抱いている。恐れにとりつかれた者は、待つことに耐えられない。恐怖の世界に生きている人は、攻撃的で、敵対心をもちやすく、破壊的行動で応じようとする。私たちの持つ恐れが強ければ強いほど、待つことは難しくなるのである。
 まさに今、私たちは恐れの時代を生きている。怖れから逃れようとして、ますます他者と対立し憎悪を増し、心の闇を深めてしまう。しかし、そのような私たちの心の内のその闇のただ中に主イエスはやって来られ、「解放の時は近い」という滅びることのない約束の言葉を語られる。だからこそ、私たちがこの約束の言葉によって励まされ、待ち続けることこそ、主イエスの到来に備えることに他ならない。

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