2012年7月19日木曜日

[説教要旨]2012/07/15「恐れの中から」マルコ6:14-29

聖霊降臨後第7主日

初めの日課 アモス 7:7-15 【旧約・ 1438頁】
第二の日課 エフェソ 1:3-14 【新約・ 352頁】
福音の日課 マルコ 6:14-29 【新約・ 71頁】

 洗礼者ヨハネが逮捕されたのは、このヘロデ大王の息子の一人でガリラヤ地方の領主であった、ヘロデ・アンティパスの結婚について批判したことがアンティパスの妻の恨みを買ったためであると本日の箇所では報告されている。またユダヤの歴史家ヨセフスによれば、民衆への洗礼者ヨハネの影響力が大きくなりすぎたため、騒乱につながることをヘロデ・アンティパスが恐れたためであると伝えている。いずれにしても、アンティパス自身は、政治的混乱による自分自身の失脚への恐れ、そして自分の妻の憎悪と怒りへの恐れ、いわば内外の双方からの恐れによって苛まれていたことが推察される。また本日の箇所にはアンティパスは「ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていた」とあり、ヨハネを信頼し、殺すことが出来ずにいた。しかし結局のところ、権力を巡る陰謀の渦巻く宮廷で自らの利益と面目を守るため、アンティパスは洗礼者ヨハネを残酷な方法で処刑することとなる。このアンティパスの姿は、旧約に記された、預言者の語る神の言葉を前にして怖れつつも、その言葉に従うことのできない王・権力者たちの姿を思い起こさせる。それは今も昔も変わることなく人の世に巣くう闇、嫉妬、憎悪、怒り、恐れ、不安を描き出す。
 主イエスについて聞き及んだ人々は、主イエスを「エリヤ」だとか「預言者だ」と語ります。そしてその評判を聞き、アンティパスは、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と語るのです。しかし、そのいずれもが、「イエスとは何者か」という問いに対する答えとして適切なものではなかった。恐れの中で、洗礼者ヨハネを処刑させたヘロデはたしかに、主イエスの中に洗礼者ヨハネとの共通点を見出した。様々に推測する世の人々も、不安定な政情と生活事情の中で、主イエスの教えと業の中に、かつて預言者が、そしてまた洗礼者ヨハネが示したものと同じものを見出していたのであろう。しかしながら、今現れた主イエスは、そのいずれをも凌駕するものであることを、福音書は語ることとなる。
 主イエス・キリストは、多くの預言者達が踏み込んできたのと同じこの世の闇の道を歩みながら、その闇から抜け出る道、命と救いの道を私たちに開かれた。洗礼者ヨハネに対するヘロデ・アンティパスの共感と同じく、やがてポンテオ・ピラトは、主イエスに同情するが、結局のところ自らの利益と面目のために、主イエスの処刑を行うこととなる。世の権力の利益と、人々の気まぐれな憎悪によって、主イエスもまた死の道を歩むこととなる。しかし、その十字架の死から主イエスは甦られた。この世の不安と恐れのただ中に誰よりも深く踏み入った主イエスは、誰も見出すことの出来なかった、さらにその先に続く道、命と救いの道を私たちに開かれたのである。
 嫉妬、憎悪、怒り、恐れ、不安。それらは私たちにとってあまりにもなじみ深い、私たちの日常を巣くう闇の力である。洗礼者ヨハネと同様に、その闇の中に踏み入る主イエスの姿を福音書は語る。そしてさらにその闇の中から甦り、福音の恵みを私たちに与えられた。この地上における恐れの中で、主イエスは既に私たちに命と救いの道を備えて下さっているのである。

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