2012年1月17日火曜日

[説教要旨]2012/1/1「救いの光に目を向けて」ルカ2:22-40

降誕後第1主日

初めの日課 イザヤ 61:10-62:3 【旧約・1162頁】
第二の日課 ガラテヤ 4:4-7 【新約・ 347頁】
福音の日課 ルカ 2:22-40 【新約・103頁】

振り返るならば、昨年はその始まりにおいては、このような1年を迎えることになるとは思いもよらない、まさにそのような1年であった。私たちがどれだけ計画し、備えていたとしても、私たちは自分の未来を確実に見据えることなど出来はしないということを、いやというほど思い知ることとなった1年であった。しかし、そうであるからこそ、自分の力ではどうすることもできないような、大きな破壊や喪失に、私たちはいつも脅かされているからこそ、私たちは、救いの光が与えられることを待ち望まずにはいられないのである。
本日の福音書の日課に登場する一人シメオンの長い人生がどのようなものであったかはここでは語られていない。しかし彼が生きてきた時代とは、ローマの植民地支配のもとにあった、当時のイスラエルの状況は、重税に圧迫され、貧富の差は拡大し、自作農から奴隷に転落することも多い、暗く、満たされた将来などおよそ望むべくもない、そのようなものであった。おそらくその時代の中で、シメオンもまた、その長い人生の中で多くのものを失ってきたのではないかと思われる。そして、そうであるからこそ、「イスラエルの慰められるのを待ち望」まずにはいられなかったのであろう。
そのシメオンは、神殿に詣でた幼子主イエスを見出し、歓喜に溢れて神を賛美する。慰めを待ち望んでいたシメオンは、力なき小さな幼子の中に、自分が待ち望んでいた救いの光を見出すのである。
聖書に書かれたシメオンの行動を振り返ると、それは「聖霊」、つまり神の見えない力によって導かれていることに気付かされる。シメオンが、小さく力弱い幼子に救いの光を見出したのは、彼の計画でも、人生経験によるものでもない。聖霊すなわち見えない神の力によって導かれ、そして、彼はその見えない神の力によって、喜びに満たされる。あらゆる人間の思い、計画、価値観、そうしたものを大きく踏み越えて、見えない神の力は、一人の年老いた人物を動かし、喜びに見たし、その喜びを人々に伝えさせるのである。シメオンを、そしてアンナを動かしたものとは、満たされた未来を確約するモノではありませんでした。彼の前には、ただ貧しい、弱く小さい幼子があるだけあった。しかし、この幼き主イエスと出会ったとき、神の見えない力は彼らを慰めと喜びとに満たされる。今、自分の前には無いもの見えないものによって、希望と喜びと慰めとを見出す。それは、神の見えない力が働くことによってはじめて、私たちに与えられる祝福であること。そのことを、聖書は私たちに語るのである。

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