2011年6月14日火曜日

[説教要旨]2011/06/12「言葉を取り戻す」使徒言行録2:1-21

聖霊降臨祭

初めの日課 ヨエル 3:1-5 【新約・1425頁】
第二の日課 使徒言行録 2:1-21 【新約・214頁】
福音の日課 ヨハネ 7:37-39 【新約・179頁】

 ペンテコステは旧約では7週祭りもしくは初穂の祭りと呼ばれており、収穫の祭りであった、7週つまり50日というのは、過ぎ越しの祭りからの期間を意味している。それらは、神がエジプトから民を救い出された救いの歴史の物語と結びついて祝われた。しかし使徒言行録では、それは、過ぎ越しの祭りと時を同じくして起こった、主イエスの死と復活の事件からの50日間として語られている。
 私達は、イースター後のこの期間、復活の主について思いを寄せてきた。その交わりは復活の後、主イエスが弟子たちと結ばれた食卓の交わりのことであり、それはまた、今私たちの時へと続いている交わりでもある。このことを憶えて、復活後の主日には度々ヨハネ福音書の告別説教から主の言葉を私達は聞いてきた。その主イエスの告別の言葉は、キリストとの新しい交わりが、神の民の新しい歴史の中で約束されていること、そしてそれゆえにまた、古い過去への告別の時であることを、弟子たちにそして私たちに示している。来るべき聖霊降臨の約束は、主イエスに従う弟子たちが主イエスとの新しい交わりを与えられるための道標なのである。
 しかし弟子たちは、イースターの出来事を体験してはいたが、まだ主イエスの死そして別れの出来事を自分自身の言葉で誰かに語ることは出来なかった。過去の体験は、その体験について自分の言葉で語り始められた時に初めて、自分自身の経験として獲得される。弟子たちはまだ、主イエスの死と復活という出来事を自分自身のものとはすることが出来ていなかった。実に復活後に主イエスと過ごした期間は弟子たちにとって、新しい歴史を歩みだし、過去との告別のために備えるために必要な月日でもあった。
 50日というあるまとまった月日を経て、弟子たちが自分の経験したキリストの死と復活を語り始めたことを聖書は語る。キリストの復活は、この時、本当の意味で弟子たちのものとなった。それは弟子たちが、見えない神の力である聖霊を受けて、語るべき言葉を取り戻した出来事であるとも言える。
 弟子たちが、福音すなわち主イエスの死と復活の出来事を語り始めた時、弟子たちを捕らえた力は、復活の主が与えた新しい力であった。主イエス・キリストの物語・その歴史は、キリストの昇天と聖霊の降臨で終わっているのではない。キリストの歴史は、さらに神の民の信仰の歴史の中に、さらに一人一人の信仰者の人生の歴史の中に続くのである。まさに人間が生きている、多種多様な状況と言語の世界のすみずみにいたるまで、聖霊が仲介することによって、キリストの出来事は語られ、その歴史は継続する。だからこそ、聖霊を通して2000年後の時代の人々もキリストの歴史に与ることが出来るのである。それゆえに、まさに聖霊降臨日に教会は誕生したと言えるのである。信仰の共同体としての教会は、神の言葉によってのみ造り上げられ、支えられる。

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