2009年9月10日木曜日

[説教要旨]2009/9/6「食卓の下の小犬も」

聖霊降臨後第14主日

初めの日課    イザヤ 35:1-3        【旧約・1116頁】
第二の日課    ヤコブ 1:2-18        【新約・421頁】
福音の日課    マルコ 7:24-30       【新約・75頁】

 7:1以降の部分で、市場から帰った時には身を清めてからでないと食事をしない人たちが登場するが、これは市場においては「異邦人」と接触する可能性があり、さらにそれを「汚れ」として理解していたからであった。しかし、主イエスは、清いものと汚れたものとの区別についての言い伝えを「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである」と断じた後に、ティルスの地方へ行かれたと聖書は語る。ここで名前が挙げられているティルスという街は、フェニキア最古の重要な港湾都市であり、いわば「異邦人の地」であった。これによって主イエスの宣教活動は、イスラエルの領域を踏み越えて、展開していくこととなる。
 ティルス地方で人目を避けていた主イエスのもとを、その地方出身のギリシア人の女性が訪れ、自分の娘を癒してほしいと願う。しかし、それに対する主イエスの返答「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」は、驚くほど冷たいものであった。しかし、聖書は、主イエスが異邦人との交わりを「汚れ」とする人を厳しく断じられていた。またこれに続く箇所でも、「異邦人」と「イスラエル」との境界を横断しながら、教えと業とを示されたことを伝えている。だとするならば、主イエスのこの言葉は、むしろ、もともとは主イエスに対して投げかけられていた非難の言葉であったかもしれない。異邦人の土地へと足を踏み入れ、そこでも宣教をする主イエスに対して、「子供たちに十分食べさせないで、子供たちのパンを取って、小犬にやるような振る舞いだ」という批判の声が上がっていたことは想像に難くない。主イエスは、自分の振る舞いに対して、「私に対して、そのような批判と非難もあるが、あなたはどうしたいのか、あなたはどう思うのか」そのようにこのギリシア人の女性に問いかけているのである。
 このギリシア人の女性は、そうした批判をはねのけ、自分たちには、あなたの助けが必要なのである、ということを訴える。それは、この女性が直面している困難に打ち勝つことのできる力は、他のどこからでもなく、ただ主イエスから来ること、自分たちを救うのはただ主イエスであるということを、この女性が確信しているということであった。誰にも知られたくないはずの場所で、主イエスは異邦人の地において、異邦人の女性から、救い主として求められる。救いを求める魂には、何の区別も差別もない。むしろ、自らの清さを重視するものには、主イエスを理解することは出来ず、逆に自らを「食卓の下の小犬」としか呼ぶような、厳しい状況の中で生きている者だからこそ、他でもない主イエスを真の救い主として求めることができるのである。

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