2016年6月10日金曜日

ルーテルこどもクラブ「親子で楽しむトーンチャイム」のお知らせ[06/24]

「親子で楽しむトーンチャイム」

6月26日(日)10時30分から12時まで

ルーテル三鷹教会集会所(ルーテル学院内)にて


・あの人気アニメの曲にチャレンジしよう!!
・参加費は必要ありません。
・10時からチャペルで行われているこども礼拝にもぜひ来てください。

トーンチャイムとは…
 数人で音を分担しチームで奏でる楽器です。細長いアルミの筒を小さなハンマーが打つことで共鳴し、音が出ます。ハンドベルよりも扱いやすく、オルゴールのような響きがします。小さなお子様もすぐ夢中になることでしょう。

お問い合わせ ルーテル三鷹教会まで


2016年6月1日水曜日

CSこども野外礼拝のお知らせ[6/19]

6/19(日) こども野外礼拝が行われます。
10時チャペルに集合、井の頭自然文化園に向かいます。
参加される方はお弁当とおやつ、ビニールシート、交通費をご持参ください。
14:30にチャペル帰着・解散の予定です。
なお雨天の場合は、井の頭自然文化園には行かず、チャペルでの礼拝後、ルーテル学院大学構内でお弁当を食べます。
参加希望の方は、三鷹教会までお問い合わせください。

週日の集会お休みのお知らせ[5/31-6/2]

5/31-6/2は牧師が会議で出張のため、週日の集会はお休みいたします。

2016年4月27日水曜日

2016ルーテル三鷹教会バザーおしらせとお願い[05/22]

こどもも おとなも 楽しめる♪
2016ルーテル三鷹教会バザー
おしらせとお願い

今年も教会バザーを開催いたします。是非ご協力を賜りますようお願い申し上げます。

バザー日程:2016年5月22日(日)
12:00~14:00
ルーテル学院大学 学生食堂にて


〜 献品のお願い 〜

献品の受付:5月21日までの土・日
(平日はご遠慮ください)
 

献品受付場所:三鷹教会集会所1階にて

ご使用にならないものがありましたらバザーのためにお寄せください。
会場の都合上、誠に勝手ながら家具・家電・書籍などはお受けできません。
なお今年から、くつ、陶器、大型ぬいぐるみも対象外としますので、よろしくお願いいたします。
衣類は、新品または新品同様・洗濯済みのお品をお願い致します。


収益の一部は、福祉関連団体等に寄付させていただきます。

日本福音ルーテル三鷹教会
  牧師 李明生(り あきお)・バザー委員会一同
  三鷹市大沢3-10-20 ルーテル学院大学内
    [TEL]  0422−33−1122
     [HP] www.jelc.or.jp/mitaka/



2016年2月19日金曜日

2/21四旬節第2主日の礼拝について[2/21]

李牧師がインフルエンザ罹患のため、2/21(日)の四旬節第2主日の礼拝は、河田優師(ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校チャプレン)の司式・説教にて行われます。

2015年10月2日金曜日

鈴木浩先生特別礼拝「宗教改革の今日的意義ー福音の再発見ー」のご案内[10/11]

2017年の宗教改革500年に向けて、ルーテル三鷹教会では、宗教改革の今日的意義-福音の再発見-」を主題に鈴木浩先生の特別礼拝を行います。
どなたでもご参加頂けます。
皆様のお越しをお待ちしております。

特別礼拝 「宗教改革の今日的意義ー福音の再発見ー」
説教者 鈴木浩牧師(ルーテル学院大学教授・ルター研究所所長)
2015年10月11日(日)10:30より
ルーテル学院大学チャペルにて
入場無料(礼拝の中で自由献金があります。)

 1517年10月31日、修道士だったマルティン・ルターは、一枚の「壁新聞」のようなビラをヴィッテンベルクという町の「城教会」と呼ばれる教会のドアに貼り出した。いわゆる『九五箇条の提題』と呼ばれる文書である。 取り上げられていたのはいわゆる「免罪符」の問題であった。ルターはそれを「民衆からの搾取」であると激しく攻撃していた。この文書はまたたく間にドイツ国内に広まった。これが16世紀のヨーロッパを揺るがせた「宗教改革」の発端になった。 しかし、いったい何が問題だったのか、そしてそれは今日のわたしたちとどのような関わりがあるのか、そうした事柄を考えてみたい。

 

[説教要旨]2015/09/20「すべての人に仕える者に」マルコ9:30-37

聖霊降臨後第17主日 初めの日課 エレミヤ書 11:18-20 第二の日課 ヤコブの手紙 3:13-4:3、7-8a 福音の日課 マルコによる福音書 9:30-37 今、社会は暴力であれ、財力であれ、権力であれ、強さを持ったものが正義であるという風潮が蔓延しつつあるように思われる。力で他者を圧倒することの先に、自分達の安全と繁栄があるという思いが支配的になっているように思う。しかし、聖書が語る主イエスの姿は、今私たちをとりまく力とは全く異なるものを示すこととなる。 本日の福音書では主イエスが、エルサレムでのご自身の十字架の死とそこからの復活について、2度目の予告をされている。二度目である今回もまた、弟子たちにはこの言葉が一体何を意味しているのか理解出来ず、その言葉の恐ろしさに怯えるだけであった。 そして、主イエスの言葉を理解できない弟子たちは「誰が一番偉いか」という議論をする。「誰が一番偉いか」ということ、それはこの世の中での幸せを得るために、より高い地位、より強い権力、より多くの財産を求めようとする人間の姿である。しかし、主イエスは「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて、三日の後に復活する。」と弟子たちに教えておられたのだった。 主イエスが「人の子は…」という言葉で始まる教えを語られるとき、その教えは十字架の出来事を予告している。それは、「この世」から裏切られ、「引き渡され」、「苦しみを受ける」存在であり、弟子達が期待したような「高い地位に就く」存在とはおよそ正反対のものであった。誰が一番偉いかを議論する弟子達に、主イエスは「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」と語り、一人の子どもを弟子達の間に立たせ「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」と語られるのだった。 「神の国は近づいた、悔い改めて福音を信じなさい」と宣言し、神の国を宣べ伝え、人々を教え、癒されたた主イエスは、まさに全ての人々に仕える者として、ガリラヤの地を歩まれ、そしてさらに、エルサレムへの十字架の道へと進んでゆかれる。そしてその命を用いて、私たちに新しい命、新しい世界、真の神の国を開かれたのだった。その主イエスが「全ての人に仕える者になりなさい」と語られる時、それは主イエスが歩む、その十字架への道を共に歩むことが呼び掛けられているのである。 たしかに、十字架の道を歩むことはは決して容易なことではない。それは私たちにとって、安全と繁栄とは真逆へと向かう、恐ろしい道であるようにしか思われない。けれども、その道は、絶望と敗北に行き詰まる道なのでは無いことを、聖書は語る。主イエスの十字架の道は、私たちの思いと考えでは、絶望としか見えない先に、私たちの目には行き詰まりとしか思えないその先に、新しい命が、神の国が待っていることを聖書は語るのである。 旅の途上では、主イエスの言葉を理解することができなかった弟子たちは、主イエスの十字架と復活の出来事を通して、その意味を悟り、根底から生き方を変えられてゆく。現代に生きる私たちもまた、主イエスの十字架と復活の出来事に触れる時、絶望の先にある平和への道、新しい命への道を生きることができるのである。