週日の集会(聖書の学び 水曜11-12時、キリスト教入門・小教理問答の学び 木曜11-12時)は、8/5(水)-9/24(木)はお休みいたします。
9/30(水)より再開いたします。
2015年8月1日土曜日
2015年7月14日火曜日
2015年ルーテル三鷹教会平和の主日[08/02]
ルーテル三鷹教会では8月には平和を主題とした礼拝を行います。
日本福音ルーテル教会平和の主日である8/2には関田寛雄先生を説教者にお迎えして共に礼拝に与ります。関田先生ご自身の戦争体験を踏まえつつ、聖書から平和への希望を聴いてゆきたいと思います。ご関心のある方は、教会員以外の方、クリスチャンではない方でも、どなたでもご参加頂けます。皆様のお越しをお待ちしております。
2015年8月2日(日)10時半より
ルーテル平和の主日
説教「平和を創る人の幸い」
説教者 関田寛雄牧師(日本基督教団牧師・青山学院大学名誉教授)
日本福音ルーテル教会平和の主日である8/2には関田寛雄先生を説教者にお迎えして共に礼拝に与ります。関田先生ご自身の戦争体験を踏まえつつ、聖書から平和への希望を聴いてゆきたいと思います。ご関心のある方は、教会員以外の方、クリスチャンではない方でも、どなたでもご参加頂けます。皆様のお越しをお待ちしております。
2015年8月2日(日)10時半より
ルーテル平和の主日
説教「平和を創る人の幸い」
説教者 関田寛雄牧師(日本基督教団牧師・青山学院大学名誉教授)
ルター小教理問答による講解説教と学び第2回「使徒信条」[07/26]
ルター「小教理問答」による講解説教
2015年7月26日(日)
「使徒信条」江藤直純先生(ルーテル学院大学学長)
[テキスト]
マルティン・ルター著「エンキリディオン小教理問答」
(ルター研究所訳、リトン2014)
2017年はルターの始めた宗教改革から500年、そしてルーテル三鷹教会創立30周年となる節目の年です。この機会に向けて、3回にわたって小教理問答による「講解説教」を行います(通常の礼拝よりも式文を簡素化して、説教を中心とした礼拝とします)。また午後は軽食をとりつつ、質問やディスカッションの時間を1時間ほど予定しています。
第2回は「使徒信条」が主題となります。ルターと宗教改革について学びたい方であれば、教会員以外の方、クリスチャンではない方、どなたでもご参加頂けます。皆様お気軽にご参加ください
2015年7月26日(日)
「使徒信条」江藤直純先生(ルーテル学院大学学長)
[テキスト]
マルティン・ルター著「エンキリディオン小教理問答」
(ルター研究所訳、リトン2014)
2017年はルターの始めた宗教改革から500年、そしてルーテル三鷹教会創立30周年となる節目の年です。この機会に向けて、3回にわたって小教理問答による「講解説教」を行います(通常の礼拝よりも式文を簡素化して、説教を中心とした礼拝とします)。また午後は軽食をとりつつ、質問やディスカッションの時間を1時間ほど予定しています。
第2回は「使徒信条」が主題となります。ルターと宗教改革について学びたい方であれば、教会員以外の方、クリスチャンではない方、どなたでもご参加頂けます。皆様お気軽にご参加ください
2015年6月18日木曜日
ルター「小教理問答」による 講解説教シリーズ[06/28, 07/26, 09/27]
2017年宗教改革500年・ルーテル三鷹教会創立30周年に向けて
ルター「小教理問答」による講解説教
2015年
6月28日(日)
「十戒」石居基夫先生(日本ルーテル神学校校長)
7月26日(日)
「使徒信条」江藤直純先生(ルーテル学院大学学長)
9月27日(日)
「主の祈り」李明生先生(日本福音ルーテル三鷹教会牧師)
[テキスト]
マルティン・ルター著「エンキリディオン小教理問答」
(ルター研究所訳、リトン2014)
2017年はルターの始めた宗教改革から500年、そしてルーテル三鷹教会創立30周年となる節目の年です。この機会に、ルターの信仰に学び、これからのわたしたちのキリスト者としての使命について思いを向けて行きたいと思います。
今回は、3回にわたって小教理問答による「講解説教」を行います(通常の礼拝よりも式文を簡素化して、説教を中心とした礼拝とします)。また午後は軽食をとりつつ、質問やディスカッションの時間を1時間ほど予定しています。
皆様是非ご予定ください!
<予告>
10月11日(日) 宗教改革500年を憶えての特別礼拝・講演
講師:鈴木浩先生(ルター研究所所長)
ルター「小教理問答」による講解説教
2015年
6月28日(日)
「十戒」石居基夫先生(日本ルーテル神学校校長)
7月26日(日)
「使徒信条」江藤直純先生(ルーテル学院大学学長)
9月27日(日)
「主の祈り」李明生先生(日本福音ルーテル三鷹教会牧師)
[テキスト]
マルティン・ルター著「エンキリディオン小教理問答」
(ルター研究所訳、リトン2014)
2017年はルターの始めた宗教改革から500年、そしてルーテル三鷹教会創立30周年となる節目の年です。この機会に、ルターの信仰に学び、これからのわたしたちのキリスト者としての使命について思いを向けて行きたいと思います。
今回は、3回にわたって小教理問答による「講解説教」を行います(通常の礼拝よりも式文を簡素化して、説教を中心とした礼拝とします)。また午後は軽食をとりつつ、質問やディスカッションの時間を1時間ほど予定しています。
皆様是非ご予定ください!
<予告>
10月11日(日) 宗教改革500年を憶えての特別礼拝・講演
講師:鈴木浩先生(ルター研究所所長)
2015年4月28日火曜日
4/29,5/6は聖書の学びはお休みいたします[04/29-05/06]
2015/4/29(水)および5/6(水)は、「聖書の学び」(ローマ書の学び)はお休みとなります。
次回は5/13(水)となります。
次回は5/13(水)となります。
2015年4月22日水曜日
2015年ルーテル三鷹教会バザーのご案内[05/17]
今年もルーテル三鷹教会では教会バザーを開催いたします。
2015年5月17日(日)12:00~14:00
ルーテル学院大学 学生食堂にて
収益の一部は、福祉関連団体等に寄付させていただきます。
日本福音ルーテル三鷹教会 牧師 李明生(り あきお)・バザー委員会一同
2015年5月17日(日)12:00~14:00
ルーテル学院大学 学生食堂にて
収益の一部は、福祉関連団体等に寄付させていただきます。
[説教要旨]2015/04/12「信じない者ではなく」ヨハネ20:19-31
復活節第2主日
初めの日課 使徒言行録 4:32-35
第二の日課 ヨハネの手紙一 1:1-2:2
福音の日課 ヨハネによる福音書 20:19-31
先週、私達は主の復活を祝った。そして本日の福音書では、いわばヨハネ福音書における聖霊降臨の出来事が、家の中に集まっていた弟子たちの復活の主イエスと出会いの中で語られている。主イエスの十字架での死によって、弟子達は失意と恐れの中に突き落とされていた。彼らは自分達もまた主イエスと同様に逮捕されることを恐れて、部屋に鍵をかけて閉じこもっていた。ヨハネ福音書の物語の筋に従えば、彼らは既に、墓は空であった知らせを聞いていた。しかし、どこまでも従うという約束を裏切ってしまった彼らは、主イエスと再び出会うことをむしろ恐れていたのかもしれない。さらに彼らは、仲間と共に部屋の中で隠れている時も、裏切りと密告を疑い、互いを信頼出来なくなっていたのではないか。彼らの心の扉は固く閉ざされ、共に歩んできた仲間からの「主イエスの墓は空であった」という知らせを喜びの報告として受け入れるなど出来なかった。
その彼らの真ん中に主イエスは突然立ち現れ、「あなた方に平和があるように」と呼びかける。それは、恐れと不安との中で心を閉ざす弟子達に対する赦しと和解の言葉であった。そしてその手と脇腹の傷は、まさしく十字架に架けられた方がここにおられるということを示すものであった。十字架の主が共におられるということは、変わるはずのない彼らの閉塞した現実を変える、新しい命が造り出され、与えられることを示す出来事であった。主イエスは、弟子達に息を吹きかけ、「聖霊を受けなさい」と語られる。創世記で神は土に息を吹き込み、命ある生きる者とされた。弟子達もまた、復活の主イエスに出会い、息を吹きかけられる。それは、彼らが新たに創造された命を与えられたことを意味していた。人々を恐れ、部屋に、また自分の心に閉じこもっていた弟子達は、「聖霊」を与えられ、全世界へと主イエスの十字架と復活を宣べ伝えるものへと変えられたのだった。
最初の出来事の際に居合わせなかったトマスは「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」と主張する。その言葉は、今の自分の状況が変わることなどありえないのだと訴えているようにも響く。ところが8日目の日、そのトマスの前に主が現れ、語りかけられる。主イエスはトマスに「見ないのに信じる人は、幸いである」と語られる。「見た」かどうかよりもむしろ、主の言葉を「聞く」ことが、私たちのうちに「信仰」と「信頼」を生み出すものであることを、私たちは知る。
復活の主イエスが弟子たちと共におられたのは、いずれもが週の初めの日、つまり日曜日であった。この週の初めの日が、教会において「主の日」としての礼拝の日となってゆく。その意味で本日の日課は、私たちが礼拝のために集められる時、その真中には主イエスが立ち、「平和」を与えられ、神の息をもって、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と語りかけられていることを伝えている。
主の復活を祝うこの季節がめぐってくる時、私たちは、復活の命は十字架の死を乗り越える力であることに、常に立ち返ります。そしてこの復活祭に続く季節、主イエスの十字架と復活の命を受け取った私たちは、自分たちもまた新しい命を与えられていることに、今一度立ち返るのである。
初めの日課 使徒言行録 4:32-35
第二の日課 ヨハネの手紙一 1:1-2:2
福音の日課 ヨハネによる福音書 20:19-31
先週、私達は主の復活を祝った。そして本日の福音書では、いわばヨハネ福音書における聖霊降臨の出来事が、家の中に集まっていた弟子たちの復活の主イエスと出会いの中で語られている。主イエスの十字架での死によって、弟子達は失意と恐れの中に突き落とされていた。彼らは自分達もまた主イエスと同様に逮捕されることを恐れて、部屋に鍵をかけて閉じこもっていた。ヨハネ福音書の物語の筋に従えば、彼らは既に、墓は空であった知らせを聞いていた。しかし、どこまでも従うという約束を裏切ってしまった彼らは、主イエスと再び出会うことをむしろ恐れていたのかもしれない。さらに彼らは、仲間と共に部屋の中で隠れている時も、裏切りと密告を疑い、互いを信頼出来なくなっていたのではないか。彼らの心の扉は固く閉ざされ、共に歩んできた仲間からの「主イエスの墓は空であった」という知らせを喜びの報告として受け入れるなど出来なかった。
その彼らの真ん中に主イエスは突然立ち現れ、「あなた方に平和があるように」と呼びかける。それは、恐れと不安との中で心を閉ざす弟子達に対する赦しと和解の言葉であった。そしてその手と脇腹の傷は、まさしく十字架に架けられた方がここにおられるということを示すものであった。十字架の主が共におられるということは、変わるはずのない彼らの閉塞した現実を変える、新しい命が造り出され、与えられることを示す出来事であった。主イエスは、弟子達に息を吹きかけ、「聖霊を受けなさい」と語られる。創世記で神は土に息を吹き込み、命ある生きる者とされた。弟子達もまた、復活の主イエスに出会い、息を吹きかけられる。それは、彼らが新たに創造された命を与えられたことを意味していた。人々を恐れ、部屋に、また自分の心に閉じこもっていた弟子達は、「聖霊」を与えられ、全世界へと主イエスの十字架と復活を宣べ伝えるものへと変えられたのだった。
最初の出来事の際に居合わせなかったトマスは「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」と主張する。その言葉は、今の自分の状況が変わることなどありえないのだと訴えているようにも響く。ところが8日目の日、そのトマスの前に主が現れ、語りかけられる。主イエスはトマスに「見ないのに信じる人は、幸いである」と語られる。「見た」かどうかよりもむしろ、主の言葉を「聞く」ことが、私たちのうちに「信仰」と「信頼」を生み出すものであることを、私たちは知る。
復活の主イエスが弟子たちと共におられたのは、いずれもが週の初めの日、つまり日曜日であった。この週の初めの日が、教会において「主の日」としての礼拝の日となってゆく。その意味で本日の日課は、私たちが礼拝のために集められる時、その真中には主イエスが立ち、「平和」を与えられ、神の息をもって、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と語りかけられていることを伝えている。
主の復活を祝うこの季節がめぐってくる時、私たちは、復活の命は十字架の死を乗り越える力であることに、常に立ち返ります。そしてこの復活祭に続く季節、主イエスの十字架と復活の命を受け取った私たちは、自分たちもまた新しい命を与えられていることに、今一度立ち返るのである。
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